2025.11.24

「論語 孔子の言葉はいかにつくられたか」 を読んで

弁護士 西村 幸三

「論語」 孔子の言葉はいかにつくられたか
講談社選書メチエ
(2021年2月10日発行)

 

を読んだ。というより、既に5,6回通読している。

私は、以前、2017年1月30日のブログ

 

「仁」という言葉の意味

 

で、孔子が論語で最高の道徳概念として用いているだろう「仁」の意味について、

「(1)無私(無我)(2)志道(3)克己(4)利他(5)謙譲」の5つの心構えの、複合体

であると書いた。

 

孔子が弟子に語る「仁」を追究する学び・研鑽は、釈迦の唱えた八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の追究とほとんど同じかパラレルな内容といえる、孔子の言う「仁」の無私、志道、克己、利他、謙譲は、釈迦の言う「無我」と「八正道」と置き換えることができる

とも書いた。

 

中国における古来からの「論語」の注釈者、儒学者らも、意味の特定しにくさ、わかりにくさに悩み、それゆえに扱いに悩まされていた「仁」の意味について、私としてはそう思い至った、と書いたものであった。

 

今もその考えは変わらない。

 

もちろん、孔子が生前にブッダの教説を知っていたわけは無い。

 

また、論語が次第に編綴され現在の形にまとまり、鄭玄による最初の本格的な注釈が行われた後漢の時代は、インドから仏教経典はほとんど翻訳されていなかったし、論語の注釈が当時の士大夫層といった中華の教養人に影響を与えたところまで到底いかない。

 

だから、仏教の影響が論語の編綴過程そのものに入り込んだ可能性はまずない。

 

しかし、「仁」に限らず、論語における孔子の語りには、仏教の教えと相通じるものがある。

 

2017年1月30日のブログで、私は、国会図書館アーカイブの「論語義疏(皇侃 おうがん。南朝の梁の代の注釈書)」での論語先進篇第十一の、「子曰く、回やそれちかきか、つねに空し」という句についても触れた。

 

先進篇第十一に
「子曰く、回やそれちかきか、つねに空し」という句の注釈について、

 

北宋の時代になって朱熹(朱子)の見解によって通説となった意味は、「顔回は非常に貧しくいつも米櫃が空だった」という意味である。

 

しかし、私は、朱熹以前におこなわれた古注の解釈、つまり、「心が虚(虚中)である」であるという意味で取るのがよいのではないか、と主張したものであった。

 

古注のいうように、「虚」、または「虚中」という場合、大乗仏教の概念の「空」の意味に近い。

 

もちろん、論語の編纂時期に大乗仏教経典の「空」の概念が中国に広まっていたわけではない。

 

そもそも初期般若経典の漢訳においては「空」ではなく「不二」の訳語があてられていたとされている。

 

2017年1月30日のブログの執筆時点では、その程度で、考察としてはとどまっていた。

 

今回、渡邉義浩氏の「論語 孔子の言葉はいかにつくられたか」(2021年2月10日発行)
を読んだ。

 

渡邉義浩氏は、この書籍で、論語の編集過程と、古注の展開について詳細な解説をしてくれており、わかりやすく、なかなか類書の無い良書であると思う。

 

論語の底本には大きく「斉論」「魯論」「古論」がある。

 

論語の古注には、鄭玄「論語注」(散逸するが逸文はある程度発見されている)、何晏「論語集解」、皇侃(おうがん)「論語義疏」、邢昺(けいへい)「論語注疏」がある。

 

そして新注としては朱熹「論語集注」が、中国歴代王朝の科挙の試験に採用されたことによって、圧倒的に通説化した。

 

渡邉義浩氏は、、面白いことに、私が古注にこだわった上記個所、

先進篇第十一
「子曰く、回やそれちかきか、つねに空し」という句について、繰返し採り上げている。

 

具体的には、代表的な3種類の古注(三国時代の魏の何晏「論語集解」、南北朝時代の梁の皇侃(おうがん)「論語義疏」、北宋の邢昺(けいへい)「論語注疏」)の全てを引用して、読み下し、訳してくれている。

 

私は、国会図書館アーカイブの論語義疏で意味は取れていたが、漢文学者ではないので、さすがに書き下して披露する自信は無かった。

 

なぜ渡邉義浩氏が、先進篇のこの句を繰り返し採り上げたかというと、古注のこの部分の解釈を、「玄学的解釈」の例であると評し、どうやらその代表的な例と考えて、3種類の古注を引用までして採り上げているようなのである。

 

渡邉義浩氏によれば、「玄学」とは、何晏が王弼とともに創始した思想傾向で、「周易」「老子」「荘子」(三玄)を儒学と共に兼通し、三玄の述語をもって、儒学の典籍を解釈する特徴を持つとする。

 

そして、渡邉義浩氏は、古注の3つ全てについて、玄学的解釈を取ったものであると、論じる。

 

そして、古注3つについて、先進篇の上記の句の注釈を順次紹介していく。

 

何晏「論語集解」 211P
三国時代の魏の時代の注釈書である。

 

子曰く、「回や、其れ庶(ちか)からんか。屢々(しばしば)空(むな)し。賜は命を受けずして貨殖し、憶へばすなわち屢々中(あ)たる」と。
[言ふこころは回聖道に庶幾(ちか)く、数々空匱なりと雖も、而れども楽(たのしみ)はその中に在り。賜教命を受けず、唯だ財貨を是殖やし、是非を憶度するのみ
蓋し回を美(ほ)むるは、賜を励ます所以ならん。一に曰ふ、「屢は、猶ほ毎のごときなり。空は、猶ほ虚中のごときなり。聖人の善を以て、数子の庶幾きに教え、猶ほ道を知るに到らざるは、各々うちに此の害有ればなり。其の庶幾きに於て、毎に能く虚中なるは、唯だ回のみ、道を懐(した)うこと深遠なればなり。虚心たらざれば、道を知る能わず。子貢、数子の病無く、然れども亦た道を知らざるは、理を窮めずと雖も而れども幸にして中たり、天命に非ずと雖も而れども偶々富めばなり。亦た虚心ならざる所以なり」と。]

(訳)
孔子が言った、「回(顔回)は、聖道に近いだろう。しばしば貧窮している。賜(子貢)は(わたしの)命を受け入れずに稼いで、憶測すればしばしば的中する」と。[言いたいことは回は聖道に近く、しばしば貧窮するが、しかし楽しみはその中にある。賜は(孔子の)言いつけを受け入れず、ただ財貨を増やし、(物事の)是非を憶測しているだけということである。思うに回を褒めたのは、賜を励ますためであろう。一説に、「屢は、毎のようなものである。空は、虚中のようなものである。(孔子が)聖人の善によって、弟子たちの近いものに教えて、いつでも(彼らが)道を知るに至らないのは、各自が内面にこれらの害を持つからである。その近い者たちの中で、いつも虚中であるのは、ただ顔回だけである。道を想うことが深遠であればこそである。虚心でなければ、道を知ることはできない。子貢は(愚、魯、僻、喭(がん)といったほかの)弟子たちの欠点が無く、それでも同様に道を知らないのは、理を極めていないのに幸運によって的中したり、天命で無いのにたまたま富んだりしたからである。(この二つも、弟子たちの病)同様に虚心になれない理由である」という。]

 

渡邉義浩氏がこの何晏の注釈について評するところは、

 

何晏の中心概念である「道」に基づいた、玄学的な『論語』解釈と言えよう。何晏は、『論語』の玄学的解釈により、世界観の根底に置くべき形而上なる根源者としての「道」の絶対性を論語に明らかにしたのである。

 

というものである。

 

ただ、「道」という言葉は、老荘思想の述語とは限らない。

 

論語でもしばしば登場する述語であり、渡邉義浩氏自身も上記の個所において論語における「道」の述語が使われている例を紹介している。

 

何晏の注釈が、顔回が「空」である、という意味は、「心が空=虚中であるゆえに道を知ることができるというものである」というものである。

 

この「空」=「心が虚中」の解釈は、孔子が、釈迦における「無我」とも大乗仏教における「空」とも相通じる心の姿勢、徳目を重視したものと評し得る。

 

先に進む。

皇侃(おうがん) 「論語義疏」 247p
南朝の梁の時代の注釈書である。

 

此の義を解する者、凡そ二通有り。一に云ふ、庶は、幾を庶(こいねがう)なり。屢は、毎なり。空は窮匱なり。顔子幾を庶慕す。故に財利を匱勿す。家毎(つね)に空貧にして瓢箪・陋巷する所以なり。故に王弼云ふ、「幾を庶ひ聖を慕ひ、財業を勿忘して、屢々空匱なり」と。又一通に云ふ、空は、猶ほ虚のごときなり。言ふこころは聖人は寂を体して、心は恒に虚にして累無し。故に幾動けば即ち見る。而るに心或いは時として虚なり。故に屢々空しと曰ふ。其の虚は一に非ず。故に屢々名生ず。」

(訳)
この義を解釈するのは、およそ二通りがある。1つに言う、庶は幾を冀(こいねが)うのである。屢は、毎である。空は、窮乏である。顔子は幾(表面に現れる以前の微妙な兆し)を冀い慕っている。そのため財産利益を気にかけない。(これが顔淵の)家がいつも貧しく少しの飯と飲み物で、むさ苦しい路地に暮らす理由である。だから王弼は、「(顔淵は)幾を冀い聖人を慕い、財産や仕事を忘れて、いつも窮乏していた」と言っている。また一つに言う、空は、虚のような意味である。言いたいことは聖人は寂を体得していて、心は常に虚であり係累がなかった。このため幾が動けば直ちにそれを察知したのである。しかし賢人は無を体得することができない。このため幾を察知することはない。ただ幾を冀(こいねが)い聖人を慕うだけである。それでも心はあるときには虚であった。このため「屢々空し」というのである。その虚(の状態)は一定していない。このためしばしばという表現が生ずるのである。

 

北宋  邢昺 「論語注疏」 248p

も、渡邉義浩氏は書き下しと訳をしてくれているが割愛する。邢昺は、ほぼ何晏と同様の内容の注釈をしている。

さて、古注の解釈を3つ並べてみた。

 

「顔回はいつも空だ」という先進篇の句については、子貢が商売で財産を殖やすのが得意だったこととの対比として、「顔回の米櫃が空だった、いつも貧しかった」と読むのが、ある意味、意味として素直で、自然とはいえる。

 

そして、北宋の朱熹がそう注釈して以降は、朱子学が重んじられることによって、朱熹の新注の解釈ふぁほぼ固定し、古注の解釈は基本的に否定され、現在の多くの日本で出回る「論語」の訳でも同様である。

 

2017年1月30日のブログでも触れた、加地伸行氏訳の「論語」(講談社学術文庫)が古注の訳による。

 

加地訳は、

回(顔淵)君こそ、私の[精神的]あり方に近いぞ、つねに[特色を表さず]〈心空し〉の状態となる。

として、むしろ、その前の、「柴や愚、参や魯、師や辟、由や喭」と、高柴(はこれ一筋)、曾参(は地味だがよく心得ている)、子張(華麗で熟達している)、子路(自信があって剛情)の4人を端的に評したことからの続きとして、「回はつねに空」だ、つまり虚心であると解している。

 

加地訳は、顔回に続き子貢への評についても、「富貴は天運というのにその天命を待ち受けず、自力で財産を増やす。考えて発言するが、いつも正確である」と評する。

 

孔子は弟子たちに対する評価は概して温かく否定一本槍になることは無くフォローするような優しさがある。

 

子貢に対する評価も、上記の古注3つはここではあまり肯定的では無いように解しているが、加地訳でもあるとおり、私も財貨を殖やし予測を的中させる才能があるという評価そのものに否定的な意味はあまり感じられない。

 

さて、渡邉義浩氏によれば、論語の魏・梁・北宋の時代の古注においては、いずれも玄学的解釈の影響から、老荘的、あるいは(皇侃については)仏教的観点からの解釈が行われているとされる。

 

渡邉義浩氏の論述を読んで、私は、なるほどと、納得するところもありながら、すっきりと納得いかない部分も残った。

 

まず、新注の「顔回の米櫃が空」という解釈では浅いと感じていたからであることは、2017年1月30日のブログでも書いたとおりである。

 

孔子は、あくまで、自らも弟子たちにも君子となるべく学びを修めることを旨とし、為政者にはまつりごとの礼と道を説くことに人生を捧げた人であり、弟子も教育した上で仕官を勧めて送り出していたものであるから、もちろん隠遁を旨とするようなところはなかった。

 

ただ、暴虐な君主には誘われても招聘に応じることはなかったし、為政者に諫言をして仕官の道が塞がれたことも一度ならずあった。

 

仕官して臣下が君主より富をむさぼることはむしろ厳しく批難した。

 

むしろ、そのような政体に関わるくらいなら野にあって、弟子を教えるほうがよいと考える人物でもあった。

 

孔子の愛した高弟とされる弟子の双璧は、顔回と子路である。

 

子路は、闊達な正確で、官僚として仕官して登用され非業の死を遂げた人物である。

 

一方、顔回は、一見朴訥でありながら、物静かに学問に向かい合い、学問に抜群に秀でながら、謙虚で内省的な振る舞いを崩さない人物であった。

 

顔回は学問にいそしんで仕官しなかったからであろう、常に貧しかった。

 

顔回は、孔子から、「非常に貧しい暮しをしているのに、くさることもなく、もっとも仁に近い」とい言われた人物であった。

 

貧乏な顔回と対比される子貢は、普段から商売上手で財貨を稼ぎ、孔子の高弟でありながら、孔子とその学問集団に対して、その集団を支えるくらいの最大の経済的支援をしていただろう、とされている。

 

そんな中でも、孔子は、子路も子貢も愛しながら、顔回にははるかかなわないとして、子路や子貢にはさらなる学問と人格の研鑽を求めていた。

 

その顔回を、子貢と、また曾参・子張・子路らと比べて評するのがこの先進篇の句である。

 

顔回が極めて貧しい暮しをしていたことは他の論語の句でも重ねて紹介されているので、「空」を「米櫃が空」という意味だということは、子貢の「貨殖」との対比で、容易に連想が働く。

 

しかし、論語のこの句は顔回を「庶」「空」とだけ表しているのであって、「空匱」と表しているのでは無い。

 

だから、私は「米櫃が空」という意味に取ることには違和感がある。

 

私すら、「それはないだろう」と感じてきたので、古注を記したいにしえの学者たちが、同じように考えたのも、ある意味当然であろう。

 

古注3つのすべてが、「空」を「心が虚中であること」であり、「虚中」であるからこそ「道」を知ることができる、と解釈したのは、おそらく、それが論語全体の文脈における孔子の思考ではないかと、古注3つの著者は捉えたのであろうと思われる。

 

渡邉義浩氏は、この古注3つのすべてが、「空」を「心が虚中であること」、だから「道」を知ることができる、と解釈したのは、玄学的解釈である、として、そこには、老荘思想、皇侃においては仏教思想をもって、儒学の文献を解釈しようとする立場があった、と説明する。

 

しかし、重ねての話として、「道」を志すことは、孔子の「仁」のエッセンスのひとつであり、「道」の概念は孔子の思想の中核をなすもので、必ずしも「玄学的」とはいえないように思われる。

 

論語から読み解ける孔子の思考には、世間を達観し、仕官の成功や富貴かどうかによっては人間の価値は決まらない、という確固たる信念が見て取れる。

 

だから、この先進篇の句を、3つの代表的な古注が一致した解釈について、玄学の影響を受けた、玄学的解釈の例である、と断定しなくても、無我の境地で道を志す顔回を、自分に近いものと評して、「心が空である者こそ道を知ることができる」と顔回を高く評価した孔子の思考として十分読み解けるのではないかと思われる。

 

なお、子貢は、他でも「巧言令色すくなし仁」と真っ正面から孔子に咎められる弟子であるが、弁舌第一とされ、孔子の学問集団を支えるほど商売に優れ経済力を有していた。

 

孔子は、子貢を財貨を増やす才能を決して否定するものでは無く一定評価しつつ、学問においては子貢は顔回に及ばず、大事なのは金よりも学問を追究する姿勢と、仁、君子の道である、という、ことを、他の句でも述べるように、この先進篇の句でも言いたかったのでは無いかと私は思う。

 

なお、渡邉義浩氏は、古注の各注釈書について、なにもその解釈がおしなべて玄学的解釈であるとは主張はされていない。

 

むしろ古注は全体として字句に沿った忠実な解釈をめざしていたもので、一部に玄学的解釈が見られる、とのことである。

 

そして、古注は、新注の解釈のような(注釈者の作り上げた)理念先行型ではない、として、むしろ新注より客観性のあるものとして高く評価している。

 

私も、言うまでもなく、新注より古注のほうが、本来の文献解釈としては原則的で好ましいとも思う一人である。

 

そして、その中でもやはり、この先進篇の句は、新注と古注が大きく解釈が食い違う代表なのであり、だからこそ、渡邉義浩氏は繰返し、古注3種類について、書き下しと訳を紹介したものであろう。

 

古注の主張する孔子の発言の意図が、理想は「心が空である」「心が虚である」ことであると解することは、ある意味老荘思想に通じ、ある意味仏教の「空」思想に通じる。

 

その無我と志道の思想は、孔子の「仁」の思想に内包していた、というのが、私の理解である。

 

そう解することには、2000年の時代を経てもなお、変わらない共感を得られる面があり、読むものにとっての妥当性、魅力がある、と言えるのではないだろうか。