いくら豊かになっても、地獄は社会のそこら中にある。智恵をもって、人が地獄にあえぐ状況を極楽に変えてあげることもできるのが、弁護士の仕事であると思っている。
契約の交渉相手、紛争の相手方や相手方弁護士との関係性においても、衝突や議論を経て、地獄に到るか、極楽に到るかは、分かれる。
弁護士は、案件によって、どちらの現場も見るし、依頼者の意向によっては、また相手方の姿勢によっては、どちらにも、意向や状況に従い進まなければならないことが、常におこりうる。ただし、できれば依頼者も相手方も極楽に進んで欲しいと思って、案件・事件に取り組んでいる。
あるとき、お寺の修行僧である雲水が、そこのお寺の老師に聞きました。
「あの世には地獄も極楽もあるといわれていますが、本当にあるのでしょうか。また、そこは一体どんなところでしょうか。
老師はこう答えました。
「もちろん、あの世には地獄も極楽もあります。
もっとも、お前が思っているほどの違いはありません。
見た目は地獄と極楽はまったく同じ世界です。
違っているのは、そこに住んでいる人の心だけです。
地獄には自分のことしか考えない利己的な人が住んでおり、極楽には思いやりにあふれた利他の心を持っている人が住んでいるのです」
雲水はさらに尋ねました。
「心が違うというだけで、なぜ地獄と極楽に分かれるのですか」
これに対し、老師は次のようなたとえ話をしました。
厳しい修行に明け暮れる雲水にとっては、うどんは一番のごちそうなのですが、部屋の真ん中に置いてある大きな釜に、そのおいしいうどんが煮えていて、つけ汁も置いてあるとします。
ただ食べ方のルールは決まっていて、一メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければなりません。
地獄も極楽も、ここまではまったく同じです。
つまり釜の大きさも、その釜を囲んでいる人数も一緒で、そこにいる人の心だけが違っているのです。
「そこでどういうことが起こるか、想像してみなさい」と老師は問いました。
お腹が空いているときに、おいしそうなうどんを目の前にして「さあ、みんな食べてもいいよ」と言われれば、一体どんなことが起こるのでしょうか。
地獄では、そこにいる人は、一メートルの箸でうどんをつかむやいなや、自分のそばにあるつけ汁につけようとするわけです。
ところが、箸が長すぎて自分の口には入らない。
反対側からは、こいつに食われてたまるかと、人の取ったうどんを箸で引っ張る。
こうして阿鼻叫喚の図が出現するのです。
釜の周辺にはせっかくのうどんが飛び散って、結局、誰も一口も食べることができず、人は餓鬼道に走ってしまう、これが地獄です。