生前の釈迦は、形而上学に拘泥してはならない、死後の世界を論じてはならないというスタンスを、弟子たちに説いていた。
ひたすらに正しい道(八正道)を実践し、苦の原因を見つめ、苦の原因を取り除くことで、苦から離れられるとして、その実践こそが、自分の説くところであるとして、一貫していた。
釈迦は、形而上学的問いと死後の世界に対する疑問を弟子が持とうとしたことを明解に咎めた。
それが、「十難無記」といわれる、釈迦とマールンキヤの問答であり、パーリ語仏典(部派時代の経典がスリランカを通じて東南アジアまで広まった経典群)の、小マールンキヤ経(「箭喩経」)に納められている。
孔子の言う「怪力乱神を語らず」とほぼ同義である。
後世の大乗仏教経典では、種々の空想上の仏・菩薩・神たちが登場するが、そのくだりは、すべて、生前の釈迦の採るところではなかったというのが、歴史的事実である。
大乗仏教経典は、釈迦の死後まもなく始まった神格化(部派仏教時代も釈迦は既に神格化されていた)が、500年を経て昂じ、一方で多仏世界や各種の菩薩や如来の信仰化が進み、バラモン教やアーリア系の神の仏教への取込みも起きて、般若経典に始まる大乗仏教経典の形成とあいまった大乗仏教運動として興隆したものである。
現代の仏教系の新興宗教には、原始仏教や部派仏典を標榜して日本の伝統仏教をことさらに批判する宗教団体も多いが、そのほぼいずれもが、教祖や宗教指導者の神通力や、死後の世界や魂の救済を論ずる。
しかしそれは歴史的事実としてはどこまでもオリジナルの釈迦の教えではないことは、理解しておくべきである。
マールンキヤの子は、
「世界は常住か無常か」
「世界は有限か無限か」
「霊魂と身体は同一か別異か」
「如来(完全な人格者)は死後に存在するかしないか」
「如来は死後も存在しかつ不存在か、死後に存在せずかつ不存在でもないのか」
とう、(いわゆる十難とされる形而上学的問い)について、深い疑問を持った。そこで、ブッダ(世尊)にこれを問うて、仮に世尊がこれらを立論し説明されないなら、私はこれ以上修行(修学)を続けることができませんので、還俗いたします、と言った。
ブッダは答えた。
「マールンキヤの子よ、私はおまえに、私がそれらの問いを立論し説明してやるからわたしのもとで清浄な修行につくようにと、語ったことがあるか。」
マールンキヤの子「いいえ」
ブッダ
「マールンキヤの子よ、仮に私がそれらの問いを立論し説明しない間はわたしのもとで修行はしない、と言う者がいるならば、その者は結局修行をする機会なく一生を終わるだろう。」
「仮に弓矢に射られた者があるとしよう。医者が呼ばれた時、仮にその者が、『その矢を射た人はどんな人か、矢を射た弓はどんな弓か、矢の矢柄・かぶら・矢尻はどんなものか、などといったことがわからない間は、自分の身にささった矢を抜き取るまい』、と言ったとすれば、その者の命はそこで終わるだろう。」
「世界の有常・無常、有限・無限、死後の存在・不存在、それらの問いについてどんな見解を取ったところで、修行が成就することはない。修行には役立たない。むしろ、そのような見解を論ずるところには、苦が生じ、苦を免れないであろう。マールンキヤの子よ、世界の有常・無常、有限・無限、死後の存在・不存在などといったことは私は説かない。それらは私が説かないものであるとして心に保持せよ。」
「なにゆえ私がそれらを説かないのか。それらを説くことは、目的にかなわず、修行に役立たず、厭離、離欲、苦の滅尽、心の寂静、優れた智恵、正しい悟り、涅槃(平安の境地)の基礎とならないものだからである」
「私が説くものは、苦についてであり、苦の生起についてであり、苦の滅尽についてであり、苦の滅尽にいたる道についてである。これらは、道理の把握をもたらし、正しい道の実践の基礎となり、厭離、離欲、苦の滅尽、心の寂静、優れた智恵、正しい悟り、涅槃(平安の境地)の基礎となるものだからである。マールンキヤの子よ、それゆえに、私の説かないことは説かないものとして心に保持するがよい。私が説くものは私が説くものとして心に保持するがよい。」
マールンキヤの子は歓喜し、世尊の教えを受け入れた。