JASRACは音楽教室団体に勝ったの?

今日は、著作権について書いてみよう。

ニュースでも流れているところであるが、平成30年3月7日付で、「音楽教育を守る会」がおこなった一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)に対する裁定の申請を認めないとする内容の裁定を文化庁が行った。

文化庁:著作権等管理事業法に基づく裁定について
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1402106.html

ニュースの字面だけみると、文化庁が、JASRACを勝たせて音楽教室を敗かしたように聞こえてしまう。

しかし、上記のURLを辿って、内容をよく読めば、別に全然そんな内容ではない。

文化庁はJASRACを勝たせてもいなければ、もちろん敗かせてもいない。

裁決の結論は以下の主文に書いてある。判決でも主文というのが結論である命令となる。

 主 文
平成 29 年6月7日付けで一般社団法人日本音楽著作権協会から文化庁長官に届出のあった使用料規程については,音楽教育を守る会が求める実施の保留は行わず,著作権等管理事業法第 24 条第3項に基づき,本裁定の日をもって実施の日とする。

これは、JASRACが届け出た使用料規程の実施時期を延期しない、というだけの意味である。

一方、別に、「音楽教室を守る会」は、JASRACに対して平成29年6月20日、訴訟を提起し、現在、東京地方裁判所において係属中である。

音楽教室を守る会
https://music-growth.org/

JASRACによる音楽教室における著作物の使用料徴収に対し、東京地裁に「音楽教室における著作物使用にかかわる請求権不存在確認訴訟」を提起しました
https://music-growth.org/topics/170620.html#box-psc01

正確にいえば、同会に所属する249社が原告団を結成し、JASRACによる音楽教室における著作物の使用料徴収に関し、音楽教室でのレッスンには著作権法に定める演奏権は及ばず、JASRACの徴収権限は無いことを確認するための「音楽教室における著作物使用にかかわる請求権不存在確認訴訟」を東京地方裁判所に提起した、というものである。

要は、音楽教室がJASRACに使用料を払わなければいけないかどうかは、あくまで裁判によって決着がつくべき話である。

おそらく音楽教室もJASRACも引くことはないと思うので、最高裁判決まで至ることになるであろう。

では、この文化庁の裁定というのは、いったい、なにを審理していたのか。

本来ただの民間の社団法人であるはずのJASRACが、通信カラオケの月額使用料から、あるいはテレビ・ラジオ局から、あるいは音楽を流すカフェなどの店舗そのほか音楽の著作権法上の利用に該当する行為をしている利用者に対し、いきなり訴訟を起こしたりして、著作権使用料を請求できる根拠は、「著作権等管理事業法」という法律に基づくものである。

JASRACは、著作権管理事業法に基づき、指定著作権等管理事業者として、指定されている団体であり、2001年以前は許可制であった(JASRACは許可を得ていた)が、2001年以降は届出制となっている。

指定著作権管理事業者は、なにもJASRACだけではない。

こんなにある。

http://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/kanrijigyoho/jigyosha/index.html
一般社団法人 日本音楽著作権協会
協同組合 日本脚本家連盟
協同組合 日本シナリオ作家協会
公益社団法人 日本複製権センター
一般社団法人 日本レコード協会
公益社団法人 日本芸能実演家団体協議会
有限責任中間法人 出版物貸与権管理センター

残念ながら私もJASRAC以外ほぼ知らない。100パーセント独占ではないということだけ知っている。

それくらい、音楽著作権管理の業界は、圧倒的にJASRACの寡占が生じており、実際は事実上独占に近い。

独占禁止法で違反として分割すべきではないかとまで批判されるのも、わからないではない。

さて、では、指定著作権管理事業者が、どんな事業から使用料を徴収できるのかは、実は、著作権管理事業法にはなにも規定されていない。

著作権管理事業法13条1項により、指定著作権管理事業者は、使用料規程を定めて、文化庁に届け出なければならないとされている。

届出であるから、文化庁は、届出された使用料規程を否定(たとえば却下したり不受理にしたり)は、できない。

もっとも、指定著作権管理事業者が使用料規程を定めたり変更しようとするときは、利用者又は団体から意見を聞く努力義務(13条2項)、公表義務(13条3項)、使用料規程の届出から実施まで30日を置く義務(14条1項)がある。

さらにいうと、その使用料規程が著作物等の円滑な利用を阻害するおそれがあると認めるときは、文化庁は届出受理日から3か月(最大6か月)を超えない範囲内で実施日を延長することができる。

また、指定著作権管理事業者は、利用者から協議を求められれば協議に応じなければならず(23条2項)、協議が成立しないときは文化庁に裁定を求めることができる(24条1項)。

さて、それであれば、著作権のもめごとはなんでもこの裁定で決めてもらえるのだろうか、といえば、実は全然そうではない。

この裁定が決めてくれるのは、当該使用料の金額・料率などの条件だけである。言ってみれば高いか安いか。

24条6項において

 使用料規程を変更する必要がある旨の裁定があったときは、当該使用料規程は、その裁定において定められたところに従い、変更されるものとする。

とされているのがそれである。

つまり、「音楽教室が著作権使用料を払う必要があるかないか」「音楽教室が教室内の演奏により音楽家の著作権を侵害しているか」「いくらを損害賠償として支払え」というのは、文化庁の法24条裁定の審理の対象ではない。

あくまで裁判所が判決で決めることなのである。

だから、上記の文化庁裁定は理由中でこう書いている。長くなるが引用する。

 申請人は,本件裁定申請とは別に,その会員の一部を原告,相手方を被告として,本件使用料規程が対象とする音楽教室における著作物の使用に関して相手方に請求権がないことの確認を求める訴えを提起し,東京地方裁判所において現に係属中である(以下「別件訴訟」という。)ところ,申請人は,そのことを理由として,別件訴訟の判決が確定するまで本件使用料規程の実施を保留することを求めるものである。しかし,仮に申請人の求めるとおり保留するとすれば,保留されることとなる期間は一義的に明確ではなく,また,仮に上告審まで争われる場合には長期間を要する可能性があり,その場合には著作権等管理事業法が定めている上記の実施禁止期間を大幅に超えてしまうこととなる。したがって,別件訴訟の判決が確定するまで本件使用料規程の実施を保留することはできないと考えられる。
 また,仮に別件訴訟が早期に終了する可能性がある場合であっても,そもそも,著作権等管理事業法においては,原則として,当該利用区分に係る個別具体の利用行為に著作権等が及ばないと利用者が主張していることを理由として,文化庁長官に届出のあった使用料規程の実施を裁定によって保留することは予定されていないと考えられる。
 なぜなら,上記「2」記載のとおり,著作権等管理事業法においては,使用料規程が届出制とされており,届出制のもとにおける使用料規程の実施の効果は,利用区分ごとの使用料の額等が明確化されるにとどまり,それを超えて,当該利用区分に係る個別具体の利用行為に著作権等が及ぶことを公に認めるというものではなく,当該利用区分に係る個別具体の利用行為に著作権等が及ぶか否かについては,著作権等が及ばないことが一義的に明らかである場合等は異なる扱いをすることがあり得るとしても,当事者間による協議,それが妥結しないときは最終的には司法の判断により決定されるということが予定されていると考えられるからである。
 翻って本件を見ると,別件訴訟における争点である相手方の請求権の存否については,法律分野に係る有識者からもその判断が容易ではない旨の意見陳述があったところであり,本件使用料規程については,少なくとも,著作権等が及ばないことが一義的に明らかである場合等(注3)には当たらない。このことを踏まえると,当該利用区分に係る個別具体の利用行為に著作権が及ばないと利用者代表が主張していることを理由として,文化庁長官に届出のあった使用料規程の実施を裁定によって保留することはできないと考えられる。
 以上のことから,申請人の求めるとおり,別件訴訟の判決が確定するまで裁定によって本件使用料規程の実施を保留することが妥当であると認めることはできない。また,このように,裁定によって本件使用料規程の実施を保留しなかった場合であっても,そのことは,当該利用区分に係る個別具体の利用行為に著作権が及ぶことを公に認めるものではなく,この点については司法判断に委ねられるものであることは上記のとおりである。

裁定は、くどくどしいくらい、音楽教室の音楽の利用行為に著作権法が及ぶかどうかについては司法判断にゆだねられるものであること、文化庁が著作権管理事業法で裁定するものではないと言っている。

裁定では正面から争いにはなっていないようであるが、仮にJASRACの利用料規程が高いか安いかを判断しようにも、司法判断が確定しないと無理だ、ということになるのであろうか(少なくともJASRACの利用規程が不当に高額かどうかは現時点でも裁定申請にはなじむと思うのだが、音楽教育を守る会が全面的に戦うという姿勢からすると、腰折れな争い方になるのでその係争方針はとらなかったものと思われる)。

なお、裁定の末尾において、文化庁は、JASRACに対して、かなり釘を刺している。長くなるが引用する。

 上記のとおり,裁定によって本件使用料規程の実施が認められるとしても,当該利用区分に係る個別具体の利用行為に著作権が及ぶか否かは司法判断に委ねられるべきものである。このため,確かに,相手方が本件使用料規程に基づき使用料徴収行為を開始する場合には,その態様如何によっては,申請人が指摘するとおり,当該徴収行為により社会的混乱が生じるおそれが考えられる。この点,相手方は,文化審議会著作権分科会使用料部会に提出した平成30 年2月1日付け文化庁長官宛文書において「演奏権が及ぶことを争う者に対しては,演奏権が及ぶかどうかの争いがある使用態様につき,司法判断が確定するまでは個別の督促(利用許諾契約手続の督促・使用料の請求)は行わない」こと(ただし,「演奏権が及ぶ(相手方の使用料請求権が認められる)との司法判断が確定した場合には,契約手続督促・使用料請求業務を保留していた音楽教室事業者に対しては,使用料規程が実施された日以降の使用料相当額を遡及して請求する」こと)を提案しているところであり,社会的混乱の回避のため,演奏権が及ばないと主張している音楽教室事業者に対する配慮が期待されるところである。また,演奏権が及ぶことを争わない者に対して使用料の請求を行う場合であっても,本件使用料規程において規定する料率を上限とし,利用者の利用の実態等を踏まえ,適宜協議を行うなどにより適切な額の使用料の額とすることも期待されるところである。
 以上のことを踏まえ,文化庁長官として,相手方に対し,本裁定とは別に,本件使用料規程の実施に当たって社会的混乱を回避すべく適切な措置を採ることを求めることとする。

特に最後の一文などは、予想以上に、余計なくらい、JASRACに釘を刺しに刺しているという印象を感じるのは私だけだろうか。

裁判官なら判決でこの最後の一文は書かないであろう。

一歩間違えれば蛇足である。

行政庁の裁定だからか、ある意味大岡裁き、というべきか、採決で行政指導をしているというべきか。

それ以上に、ほう、と感じたのは、

個別具体の利用行為に著作権が及ぶか否かは司法判断に委ねられるべき

という一文である。

これは、意外に意味が大きいと思われる。

音楽教室における練習に対して、「公衆に対する演奏」であるから著作権侵害である、と主張するJASRACの論理には、「味噌もくそもいっしょにして金をとろうとしている」という批判は、かなりの程度妥当せざるをえないと私は感じている。

なぜなら、音楽教室では、教師や生徒が楽譜を購入して使用料を払い、発表会ではホールやスタジオなど演奏会場の使用料を通じてJASRACに使用料を払っている。

つまり、仮に音楽教室が使用料を払っていない部分があるとすれば、通常は、先生と生徒、あるいは生徒単独での練習の場面くらいであろう。

「JASRACは、練習を、「公衆」に対する演奏と言うのか?」というのが、今回の音楽教室訴訟において疑問の生じる、重要なポイントなのである。

通常は、公衆は、鑑賞目的で聴きに来る公衆のことを言うし、そこに限定して事足りると思われる。この見解に絶対的・公権的解釈があるわけでは必ずしもないが、少なくとも長い間そういう感覚が世間では一般的だったと思われる。

社会通念上そうでしょう、というべきか。

もちろん音楽教室での演奏でも、発表会となると公衆に対する演奏だろうが、練習を鑑賞目的で聴きに来る公衆などというのは、仮にいたとしてもまれで(例えば3歳5歳の子供のレッスンに親が同席した場合に、親は公衆だというであろうか。さすがにJASRACもそうは主張しないだろう。あるいはグループレッスンで他の生徒の鳴らす楽器の音を聞いたものは聴衆だろうか。これもこじつけのように思われる)、それを理由にJASRACがレッスン料全般から利用料を取る理由になるのだろうか?というのが普通に沸く疑問である。

レッスン料というのは音楽家がレッスンをする指導の対価ではないのか。

せいぜいそこに場所代が入っている程度ではないのか。

そういう疑問が出て当然である。

こうやって細かく分析していくと、レッスンを「公衆に対する演奏である」と、言いくるめようとする、JASRACの請求は、一般人にとっては、詭弁に聞こえかねない微妙なものである。

JASRACが音楽業界のあちこちに使用料規程の網掛けを広げてきてことごとく勝訴してきたことは確かであるが、さすがに音楽教室の練習から徴収とは、まさか、長年誰もそんなことは考えたこともなかった、と思われてきた、理論的にも空白の領域であろう。

公衆に対する演奏と言うには、あまりにニッチでせこいところを狙って網を打ってきた、というのが、今回のJASRACに対する私の評価である。

なお、著作権法の法学者としての大家である中山信弘東京大学名誉教授が、音楽教室側で意見書を書いている。

https://music-growth.org/topics/180205.html

中山信弘教授は西村あさひ法律事務所に所属しているわけで、意見書自体が手前味噌と受け取られる可能性はあり、また思ったほど整理されていないようにも思えるが、示唆的な記述は多い。

少なくとも私は、生徒と先生の間での、本番でない練習における演奏を、公衆に対する演奏ということには、違和感があるを超えておよそ否定的である。

そこまでの保護が著作権法において想定されているとも思われないし、必要とも思えないということである。

著作権法が「音楽指導」により対価を得ている行為に対して著作物の利用であると定めているのであればさておき、著作権法にはそんな定めはない。

だからこそJASRACは、公衆演奏権を徴収の根拠に持ち出してきたのである。

指導であっても、最低限楽譜を買えばできると思われるところであるが、そもそもレッスンのときに生徒の持っている楽譜を少し見れば、その場で暗譜で鳴らしてしまうのが指導者というものである。

発表会など本番における演奏に対して、ホールやスタジオなどの使用料を通じて徴収すれば通常は事足りる(もちろん音楽教室がそういう設備を備えていれば徴収は可能と思う)というのが、社会通念に照らした常識的理解ではないかと思われるところである。

そもそも音楽教室の練習で音楽を習うものが増えるほどに教材となる楽譜の売上には貢献すると思われるのである。

楽譜を売るという行為には、これで練習してください、それには1人1冊買ってくださいという意味がこめられており、そこに、楽譜の所持者が練習することの許諾は含まれているであろう。

モーツァルトの時代から、作曲家は楽譜を出版して生業とし、他の音楽家がそれを教材として家庭教師などをして音楽指導に用いてきたわけで、でも、音楽を教える先生の報酬については楽譜代と別にその都度著作権法上の利用にあたるから作曲者に金を払え、などという理解は、およそ伝統的にそう理解されていたとは言い得ない。

JASRACは音楽教室だけでなく個人教授であっても将来的に徴収の例外ではないことをWebで宣言している。

2018年4月1日から楽器教室における演奏等の管理を開始することになりました(JASRACサイト)

http://www.jasrac.or.jp/news/18/0308_01.html

本件管理対象の範囲 
楽器メーカーや楽器店が運営する楽器教室を対象とします。これらの教室の管理水準が一定のレベルになるまで、当分の間、個人が運営する楽器教室については管理の対象としません。将来的に管理の対象と考えているのは、ホームページなどで広く告知や広告して不特定多数の生徒を常時募集しているような場合を想定しています。

個人の先生がホームページを持っていて、そこで生徒随時募集と書いてしまうと「不特定多数」というべきだからほぼアウトで、いずれJASRACから警告が飛んでくるようである。

レッスンにおいて、先生につかずに楽譜だけで独習できるのは、ほぼ音楽を生業とするプロである。

いや、独習だけで済むのは、さらにそのプロの一部だけであろう。

みんなが楽譜で独習できれば、プロの音楽家は指導者として食い詰めてしまう。

練習中にわずかに先生が生徒に手本をみせたら、というより指導に使うこと自体が公衆に対する演奏であるというのが、JASRACの見解なのである。

これまたニッチな極端な、ということになるのも当然である。

ただ、これを極端だと思うか当たり前と思うかは、裁判官の現場感覚にかかっているのかもしれない。

あるいは、音楽出版社は、楽譜に、「この楽譜は音楽指導には使えません。その場合は別途著作権者に利用料をお支払いください」と書き込むようになるのであろうか。

それが時代の変遷ということなのか。

著作権者集団のベースを構成しているプロの音楽家たちの生業を支えている音楽教室の、しかも本番ではない練習の場面だけを、公衆に対する演奏だとして使用料を取るというのは、一歩間違えれば、音楽業界の自殺にも近い。

一方で、モラルの低い音楽教室で楽譜を個人的利用の範囲を超えて違法コピーするようなことがあれば、それは著作権侵害となるわけである。

が、それを取り締まるべきであるという視点は、公衆演奏権の侵害とはおよそ別の問題であり、その償いに音楽教室に著作権使用料を払えと言うのは理屈として成り立たない無理筋であり、またJASRACもそんなことは言っているわけではない(JASRACが音楽教室において楽譜が違法コピーされる場合があることを音楽業界の自殺に等しいと苦々しく思っていた可能性はあるが)。

JASRACの収入に多少でもあずかれるような音楽家は極めて一部である。

一方、それを裾野で支える圧倒的にほとんどのプロは、音楽指導を生業にして暮らしている。

JASRACからの収入にあずかれるトップの音楽家たちも必ず裾野をくぐり抜けてきた立場であり、トップの音楽家たちは、裾野の音楽家たちに支えられる運命共同体においてたまたま上にたどり着くことができただけの幸運な(もちろん才能は必要であるが)存在である。

JASRACが踏み出したものは、音楽業界の自殺ではなく、ごく少数のトップによる裾野の搾取、なのかもしれない。

このJASRACの動きに対する、音楽家たちの複雑な思いが透けて見えるようである。

西村幸三

lawfield.com

京都・烏丸三条にある法律事務所を運営。ニュース・法改正・裁判例などから法務トピックを取り上げていきます。